舞台「リチャード三世」佐々木蔵之介 撮影:田中亜紀

残虐で凶暴な罠に溺れろ 佐々木蔵之介『リチャード三世』観劇レビュー

舞台「リチャード三世」佐々木蔵之介
舞台「リチャード三世」佐々木蔵之介 撮影:田中亜紀

残虐で凶暴な罠に溺れろ 『リチャード三世』観劇レビュー

Cine sap? groapa altuia, cade singur ?n ea.(罠を仕掛けるものは罠に落ちる)

『リチャード三世』ゲネプロ・囲み取材にいってまいりました。

今回の『リチャード三世』はシェイクスピア戯曲のなかでも『ハムレット』のタイトルロールと同じぐらい役者にとってはやりがいがあると言われる役。
そのリチャード三世役を佐々木蔵之介さんが演じ、他の出演者のみなさんの経歴も文学座に花組芝居、ジョビジョバにカクシンハンに東京サンシャインボーイズ、もちろん主演の佐々木蔵之介さんは惑星ピスタチオ出身と鉄壁の実力派演劇人で固められた舞台です。『真田丸』メンバー多っ!

舞台「リチャード三世」佐々木蔵之介 撮影:田中亜紀
舞台「リチャード三世」 撮影:田中亜紀

そして何より注目すべきはその演出家、シルビウ・プルカレーテ。ルーマニアのシビウにある国立ラドゥ・スタンカ劇場で作品を発表している演出家で、佐々木蔵之介さんが囲み取材でも触れていた『ファウスト』ではヨーロッパの演劇賞を総なめにした超話題作の演出家。
日本でも東京芸術劇場で2013年には『ルル』、2015年に『ガリバー旅行記』『オイディプス』を招聘公演という形で過去に上演しており、今回の会場である東京芸術劇場にプルカレーテ作品が登場するのは3回目。

ちなみに、東京芸術劇場からはラドゥ・スタンカの主催するシビウ国際演劇祭に『THE BEE』が招待されたり、日本のカンパニーも毎年数団体招待されていたり(平成中村座など)日本からのボランティア派遣があったり、ラドゥ・スタンカ劇場のレパートリーには安部公房があるなど、お互いの国のイメージはドラキュラとサムライニンジャの国同士ながらも演劇文化交流はとても盛んです。
今回美術も音楽もプルカレーテ作品に過去に参加したことのあるアーティストであり、特に音楽のヴァシル・シリー氏は『ファウスト』の音楽も担当。

プルカレーテ作品の個人的な見どころ、いや聴きどころは「セリフがたとえルーマニア語であっても、言葉の響きが美しい、そして音楽が耳から離れない」というところ。今作の『リチャード三世』も音・日本語に翻訳された上演台本においてもその言葉の響きに注目です。
そして、演劇の脚本・役者・演出・美術衣装音楽すべてが合わさった作品の持つエネルギーが圧力となって客席に迫ってくる感覚。ゾクゾクします。

視覚以外の聴覚で訴えてくる方法も「ただ普通にセリフを話す」だけではないのが見どころ聞きどころ。サックスの生演奏も、圧力どんどんかけてきます。

舞台「リチャード三世」 撮影:田中亜紀
舞台「リチャード三世」 撮影:田中亜紀

まず、幕が上がってそこに広がるのはあの広いプレイハウスの舞台を三方幕で囲って、天井から手術台のライトにも見えるシャンデリアが吊られている空間。大道具と呼ばれるものはなくそしてそこにあるのはテーブルと、乱痴気騒ぎをしている人々・・・なのですが、ビジュアルにまず注目。
白塗り、だらりと来た白いワイシャツに黒のスラックス、編み上げブーツ、が、ほぼ男役も女役も全員。まるでロックスターかのようないでたちで始まります。

ゲームがスタートしていない段階では、まだ皆同じいでたちでいるのですが、クラレンス公(長谷川)の登場から話が徐々に回り出します。何もないところから皆そのそれぞれの「役」が徐々に際立っていきます。周りの者達が徐々にその「役」の衣装を身に纏い始めて、はじめはすっと立っていたリチャードも、せむしの姿となっていく。

悪役といっても『道化のような、プロレスでいうとヒール役。反則技もバンバン決める』とのコメント通り、直球ではない悪役・リチャードを演じている佐々木。でもその目的は一つ、王座獲りゲームに勝ち抜くこと。甘い顔を見せて誘って、誘惑して、でもさらっと裏切って残忍に殺す。紙の王冠、死の気配はビニール、ビニールに包まれた王座、前半でひたすら殺して殺して殺されまくった人たちは屠殺人たちにビニール袋にくるまれて、手術台にテープで縛られて死を迎える。ビニールのゴミ袋にいれられて捨てられる、ためらいなく。錆び付いたロッカーの扉は死への道行き。
そして最後、2幕の後半はほぼリチャードの一人芝居のような状況で、自分自身が死の気配を纏うことになる。ゾクゾクして一瞬足りとも目が離せません。

そしてその参謀役のバッキンガム公を演じる山中崇、「呪って呪って呪いまくる」マーガレット役の今井朋彦をはじめとするリチャードの周りの人々についても存在感が抜群。ヒールが成立するにはベビーフェイスがいないとだし、試合の成立にはレスラー以外にもレフェリーなどが必要ですが、まさにそれら試合にするためのひとつひとつのパーツ。
それぞれの関係性も、愛だとか忠誠だとか、そんな綺麗な言葉ではなくて、情だとか念だとか嫉妬であるとか全てひっくるめて業であるとか。リチャードの躰のように歪んでいるのかしらと。でもその歪みこそがアートそのものです。

そしてずっと全てを引いたところから見ている、誰とも交わらない代書人(渡辺美佐子)は、シェイクスピアなのでしょうか。そんな想像も浮かびます。

舞台「リチャード三世」佐々木蔵之介 撮影:田中亜紀
舞台「リチャード三世」 撮影:田中亜紀

ゲネプロ前に行われた囲み記者会見では「ハロウィーンでもないのにオッサンたちが何を仮装しとるんやと思われるかもしれませんが、大真面目でやっております。やる気満々です」(佐々木)「(佐々木さんとの絡みで)このへんジョリジョリくる」(植本)「おじさん達でも頑張ってるぞ」(山中)とウィットに富んだ表現で笑いを誘っていた出演メンバーですが、正直、ほぼ全員男性キャストというのもわざわざ特筆して「もしかして色物?」と思わせぶりにいうようなことではなく、上演するにあたって別にその戯曲に書かれている見た目に合わせて役者を配役するのではなく、もっと役として戯曲として本質的なところを表現するためにこのキャスティングになったというのが納得の布陣です。

『今まで味わったことのない演劇体験ができるんじゃないかなと思っております。』(山中)『将来的に「あれ見たんだ、あの伝説の舞台見たんだ!」とそのぐらいやってる僕らもすごく本当に新しいことが多いというか、見る方にもすごく刺激的な体験になると思います。』(長谷川)と演じているみなさんからも『見たことないやったことない芝居』の目撃者となることを心から楽しんでいる様子。
出演者がリップサービスではなく本当に心から作品を稽古の段階から充実した時間を過ごして、それが結果として舞台本番につながっており、実際にクオリティも素晴らしいことを観客も感じ取れる作品です。

この作品を、海外の劇団の招聘講演ではなく、海外の演出家が日本で製作したことに意味がある。
日本語で日本で、日本の俳優が、イギリスの古典戯曲を、フランス語を話すルーマニア人の演出で上演する。
いやはやおっしゃるとおり、たとえ戯曲の結末がわかっていようと、「どこにもない、全くオリジナルな作品」です。

舞台「リチャード三世」佐々木蔵之介 撮影:田中亜紀
舞台「リチャード三世」 撮影:田中亜紀

記者懇親会でのプルカレーテによるコメント

Q 日本人キャストでの実際の稽古を経て本番ですが、実際にやっていかがでしたか?

実は私は分析やまとめを仕事が終わる前にするのが好きではありません、正確に言えば私の仕事はまだ終わっていません。私は自分の作品に対していわゆるジャッジを下したくないのです。ジャッジをするのはお客様なわけです。比較的限られた時間の中での非常に凝縮した印象の強い仕事だったと思います。私が連れてきた美術のドラゴシュ、音楽担当のヴァシールとともに非常に充実した時間を過ごすことができたと思います。日本人俳優さんたちと仕事をするのは非常に大きな喜びでありました。またこの劇場には自分の作品を持ってきたことがありますので、この劇場関係者やテクニカルスタッフのクオリティの高さは知っていました。日本人俳優さんと仕事をするのが初めてだったということです。

Q なぜ今回ほぼオールメールキャストなのでしょうか、また、世界各国でお仕事をされていると思いますが、日本人俳優と他の国の俳優に何か違いはありますか?

まず男性キャストについて、今回キャスティングオーディションのために来日していろいろな俳優さんにあったのですが、その過程の中で、ほぼオールメールキャストにしようと決まりました。でも考えてみるとオールメールキャストというのは演劇の歴史の中で行われてきたことです。日本の伝統芸能もそうですし、シェイクスピアの時代にもヨーロッパで行われていました。なのである意味演劇の世界では通例のことなんです。私は確かにいくつかの国、いくつもの言語を使って仕事をしてきましたが、ジャーナリストの人は皆その質問をします。ではその違いは何かというと、日本人俳優と他の国の俳優の根本的な違いは「日本人俳優は日本語を喋る」ということです。でもそれ以外はいわゆる俳優さんのクリエイションのプロセスは世界どこでも同じなんです。
違いがあるとしたらそれは個人的な違いであって、それは国籍やカテゴリの違いではないです。

Q 日本人俳優、例えば佐々木蔵之介さんなどのそれぞれの印象は?
こういった質問に答えるのはとても難しいです。というのも私はいいことしか言えないし、いいことしか言わないとわざとらしいと思われる危険性があるのです。でもあえて申しますと、日本人俳優さん達は非常に敬愛すべき才能の豊かな人々でありました。非常にパーフェクトにプロフェッショナルで、とても優しい方々です。

Q 今回、『リチャード三世』を大胆にアレンジされて「今までに観たことがないもの」になっているとのことですが、そこには意図はありましたか?

自分としてはそんなに別に大胆なアレンジや改変をしたつもりはないです。もちろんセリフのカットは行ったのですが、それは通常演劇の世界でなされることですし、いかんせんこの戯曲は400年以上前に書かれたその英国史に今の人たちがそのままで興味を抱くかどうかは疑問でありますし、カットによって今日に響くメッセージを残したつもりです。あともう一つテキレジを行った理由ですが、『リチャード3世』はシェイクスピアのドラマティックな傑作ですが、エリザベス1世当時、描かれたのはプロパガンダ的な意味もあったわけですね。エリザベス一世の家族、その王朝の栄光を讃えるために書かれた意味もあります。ですから今日の観客にとってエリザベス一世の系列につながる様々な貴族の名前が出てくる、それを全て出すことが果たして興味深いかは疑問を感じるので、カット・改変を行いました。あと改変について言えば、私の改変の前に翻訳がなされていることがすでにシェイクスピアの戯曲に対する”tranceformation”なわけですね。つまり日本の翻訳者の方が書いたシェイクスピアのテキストを私たちは使用しているわけです。なのでカットは行いましたがもともとのシェイクスピアのセリフ、翻訳家木下さんのセリフに対して余計なものを加えることは行っていません。

Q 今の囲み会見でリチャード三世の佐々木さんがまっすぐ立ってすごくかっこいい姿だったのですが、リチャード三世は不倶が大前提とされてきたと思うのですが、その辺の解釈と今日に響くメッセージを具体的に教えてください。

まずハンディキャップ、不倶についてですが、実は歴史上のグロスター公のちのリチャード三世についてはあまりどういう人物だったか資料が残ってないんですね。いくつかの肖像画と歴史的な記述は残っているのですがもちろん当時のことなので写真もありませんし、そもそも人物自体に知られていることが少ない。そして私たちが紹介するリチャード三世というのは演劇における人物であって、歴史上の実在の人物ではありません。だから私がみなさんにお見せするリチャードというのは、シェイクスピアによって書かれたテキストを喋っている人物であって、歴史上のリチャードが喋ったことをいっている人物ではないのです。つまり、彼は俳優が役を演じているという演劇的なものです。それから、今日に響くメッセージというのは芝居の中に含まれているので、観て感じていただくものなんですね。ですから私が今この場で言葉で説明してしまいますとみなさんがお芝居を観なくなってしまいます。芸術作品はそれぞれの芸術言語があるとおもいます。作品それ自体が語っているわけでありまして、それをわざわざ解釈したり言葉で説明したりするとそのピュアなメッセージは失われてしまうと思います。あえていうとすればここではテーマとして『悪』というものがあると思いますが、『悪』というものは私たち各人のどこかに存在しているものなのではないでしょうか。

Q 日本のお客様に向けてメッセージを。

それは一月半前からメッセージを作りました。これが私の唯一の方法でメッセージを作ってみました。

 

(文:藤田侑加

公演情報

舞台「リチャード三世」

【作】 ウィリアム・シェイクスピア
【演出・上演台本】シルヴィウ・プルカレーテ
【演出補】谷賢一
【翻訳】木下順二
【出演】佐々木蔵之介/手塚とおる 今井朋彦 植本純米(植本潤改メ)/ 長谷川朝晴 山中崇/山口馬木也 河内大和 土屋佑壱 浜田学 櫻井章喜/ 八十田勇一 阿南健治 有薗芳記 壤晴彦/渡辺美佐子

2017年10月18日(水)~30日(月) ※10月17日 プレビュー公演
東京/東京芸術劇場 プレイハウス
2017年11月3日(金・祝)~11月5日(日)/大阪・森ノ宮ピロティホール
2017年11月8日(水)/盛岡・盛岡市民文化ホール 大ホール
2017年11月15日(水)/名古屋・日本特殊陶業市民会館ビレッジホール

公式サイト
舞台「リチャード三世」

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