海底に眠る過酷な歴史を海面に浮上させる/野田地図(NODA・MAP)「逆鱗」観劇レビュー
野田地図「逆鱗」に出演する松たか子海底に眠る過酷な歴史を海面に浮上させる/野田地図「逆鱗」観劇レビュー
NODA・MAP『逆鱗』は、野田秀樹2年半ぶりの新作である。主演には『パイパー』以来、7年ぶりに松たか子を迎えた。
緑の髪、鱗のスカートを履いた松の役どころはNINGYO(人魚)。広い空間にやってきた彼女は、ある男を窓外から見つめていたという詩的な語りを始める。
人間が作ったという人魚の秘密、そして男との関係。そのことが、海中水族館と人魚が眠る海底遺跡とを、時間を隔てて行き来することで徐々に明かされていく。その果てに、過去のものとして葬り去っていた歴史の一断面が我々に突きつけられる作品だ。
「逆鱗」=知らないことにしていた事柄を呼び覚ます
海底から時間を超えて歴史が現代に召還される。その際に生じる戸惑いや抵抗。そういったものを集約する言葉として、タイトルにもある「逆鱗」がある。
水族館・人魚・海底と、大海原にまつわる劇世界にあって、竜のあごの下にある、触れてはならないものを意味する逆鱗とは何なのだろうか。日常生活を送る上において見ない方が良いもの、触れてはならないもの。これが逆鱗と聞いて一般的に想起するものである。
本作における逆鱗は、それとは少し異なっている。今やすっかり忘れ去られていたもの、それが時代と世代を経る事によって、忘れ去るどころかそもそも知らないものとなった事柄。そこにあえて目を向けて探求し、新たに記憶し直す一切の過程が、この舞台における「逆鱗」の意味である。
野田地図「逆鱗」 阿部サダヲと銀粉蝶
『ザ・キャラクター』(2010年)でのオウム真理教のカルト性、日本の建国神話の虚妄を描く『南へ』(2011年)、そして第二次大戦中の陸軍の研究機関、731部隊を採り入れた『エッグ』(2012、15年)。NODA・MAP創設以降、野田秀樹は意識的に歴史を踏まえる作品を描いてきた。本作もこれらに連なる作品になっている。言葉遊びは単なる遊戯ではなく、歴史の謎を解き明かすパズルのように配され、推理する探偵のような役割を担っている。そして謎の解明と共に、我々日本人が抑圧していた古層が剥ぎ取られ、トラウマに直視させられる。それだけでなく、忘れ去られた歴史に付随する、犠牲となった名もなき無辜の民に目を向けようとする。
歴史は勝者が描くものかもしれないが、そこには忘却された累々たる死体がある。そう投げかけるような野田の作品は、神経を逆なでするかもしれない。だが、我々が未来へ歩むためには避けて通れないという意志が、この作品には込められているのだ。
歴史を忘却した人間と直面させられる人間
今作で言えば、松が演じるNINGYOが負の歴史を背負った存在である。海底の深さと見合う歴史の厚みを記憶するNINGYOと、水恐怖症の単なる人間としてのNINGYO。人格が異なるNINGYOが海底と海面を往復することで、劇は現在と過去を往還する。
地上では、人魚学者・鵜飼ザコ(井上真央)と人魚学教授の柿本魚麻呂(野田秀樹)が、人魚が海底に生息することを証明して、自身の研究成果にしようと企んでいる。ザコは父親である海中水族館館長・鵜飼綱元(池田成志)に、人魚を生け捕れば水族館のアピールになるとそそのかして資金を出させている。そのため、水族館員のイルカ・モノノウ(満島真之介)が担当するイルカショーは取りやめになってしまう。
NINGYOの存在を名誉欲のために暴きたて、あまつさえ見せ物として衆目に晒そうとすることは、まさに物事の裏に隠された歴史を知らないがゆえの、不用意な行動である。そして、NINGYOが本当に存在するのか、その動向にいちいち食いつくマスコミ関係者たち。彼らは興味の赴くまま、他人が動くままに乗っかって一斉に左右に触れる残酷な大衆の姿だ。
そんな中、電報配達人のモガリ・サマヨウ(瑛太)と水族館警備員のサキモリ・オモウ(阿部サダヲ)はNINGYOに海底深く誘われる。
そこで、NINGYOとその母・逆八百比丘尼(銀粉蝶)によって、歴史の過去に直面させられる。モガリとサキモリは何を忘れ去っていたのか。彼らと共に、観客は抑圧していた記憶に触れることになるはずだ。
海底の神秘を表現する美術・衣装・照明
灰色を貴重としたたまっさらな舞台美術、そこに透明の衝立や鉄の階段といった小道具が必要に応じて使用される(美術・堀尾幸男)。並べられると水槽になったりする衝立は魚眼レンズのようになっていて、コロスによる人魚の群れがその後ろを通ると拡大される。加えて、照明がカラフルな衣装に当るとボヤけて非常に幻想的になる(照明・服部基、衣装・ひびのこづえ)。
また、舞台背景の上方は映像が投影される可動式の壁で、下方は丘になった演技スペースになっている。一枚壁かと思いきや、なだらかな傾斜部分を俳優がかけまわった時は驚いた。このように視覚的な趣向が凝らされており、海底の神秘的な雰囲気がうまく表現されていた。
俳優については、太古の記憶を持たず、単に水族館の人魚オーディションに参加する海上でのキャラクターと、人間に真実を突きつける海底での力強い演技を瞬時に切り替える松たか子はさすが。阿部サダヲもテンションの勢いで突っ走る前半から打って変わり、次第にシリアスな演技へとしっかりと移行する。聞き取りやすく良く通る瑛太の声は、舞台に適している。コメディセンスはTVドラマ『最高の離婚』で証明済み。本作でも、阿部サダヲと息の合った掛け合いを見せる。
そして、自身も出演し続ける野田秀樹は、日本人の痛いところを呼び覚ます劇を、東京都が所有する劇場で、しかも芸術監督でありながら発信し続けている。我々が共有しなければならない歴史を東京芸術劇場で上演することは、公共性とは何かという問題も投げかけている。
本作は3月13日(日)まで東京芸術劇場 プレイハウスで上演。その後、大阪と北九州公演を含めて4月3日(日)まで公演される。
野田地図「逆鱗」公式サイト
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(文:藤原央登 撮影:森脇孝/エントレ)
公演情報
NODA・MAP 第20回公演「逆鱗」
【作・演出】野田秀樹
【出演】松たか子 瑛太 井上真央 阿部サダヲ
池田成志 満島真之介 銀粉蝶 野田秀樹
2016年1月29日(金)~3月13日(日) 東京・東京芸術劇場プレイハウス
2016年3月18日(金)~3月27日(日) 大阪・シアターBRAVA!
2016年3月31日(木)~4月3日(日) 北九州・北九州芸術劇場 大ホール