音楽劇『エノケン』

市村正親さんの存在感とエンタメ力に、心を持っていかれた 音楽劇『エノケン』観劇レビュー

音楽劇『エノケン』
音楽劇『エノケン』

市村正親さんの存在感とエンタメ力に、心を持っていかれた 音楽劇『エノケン』観劇レビュー

 
幕開けと同時に、ひとりエノケンが歌い出す。その声だけで場内の空気がすっと変わる。

当時の劇場を思い出させる照明と音楽、決して派手ではない幕開け。けれど、ただ一人の俳優の息づかいだけで、物語が始まっていく。そして歌の合間に口上を終えた瞬間、胸が高鳴るのがわかった。気づけば自然と拍手を送り、手拍子をとっていた——市村正親さんの存在感とエンタメ力に、心を持っていかれた瞬間だった。

音楽劇『エノケン』
音楽劇『エノケン』

本作は、喜劇王・榎本健一の人生を、音楽と芝居で丁寧に紡いでいく物語。舞台の上で輝く“スター”としての姿ではなく、スポットライトを降りた日常の姿を描くことで、喜劇役者としての“生きる執念”が浮かび上がる。努力家で、無邪気で、そして誰よりも人間くさい。きっと当時を知る世代には懐かしさが込み上げ、知らない世代は「もっと知りたい!」と過去の映像を探したくなるはず(笑)。


音楽劇『エノケン』

舞台上には、わずか七人の出演者。それなのに、笑いも哀しみも希望も老いも、しっかりと描ききってしまう構成力と演出が見事。派手さを削ぎ落とした分だけ、一つひとつの言葉や“間”に深みが生まれ、思わず息をひそめて見守ってしまうような時間が続く。

音楽劇『エノケン』松雪=花島喜世子
音楽劇『エノケン』

脚本は又吉直樹さん。 “笑い”を題材にしているのに、どこか詩のようで、しっとりと優しい。派手なギャグではなく、人が生きるうえでの“間抜けさ”や“いとしさ”をすくい上げるような温度感。又吉さんらしい静けさと情のある筆致が、エノケンの孤独や葛藤をじんわりと浮かび上がらせていた。


音楽劇『エノケン』

そして——市村正親さん。圧巻のひとこと!この静かな芝居空間の中心に立ち、どの瞬間も舞台の温度を支配している。歌い、語り、踊りながら、年齢も時代も軽やかに超えていく姿は、“エノケンその人”と重なって観えた。演技の緻密さもさることながら、声の一音一音に魂が宿っていて、観ているこちらの呼吸まで変わる。

音楽劇『エノケン』本田=田島太一
音楽劇『エノケン』
 
音楽劇『エノケン』本田=田島太一
音楽劇『エノケン』

今回の劇場も、またドラマチック。市村さんが立つのは、エノケンが実際に舞台に立った旧・芸術座=シアタークリエ。さらに松雪泰子さんの地元・佐賀、市村さんの故郷・川越での上演もあり、まるで運命が導いたような巡り合わせ。偶然とは思えない“舞台のご縁”に鳥肌が立った。

音楽劇『エノケン』松雪=榎本よしゑ
音楽劇『エノケン』

松雪泰子さんと本田響矢さんの二役も、見応えたっぷり。松雪さんは、エノケンを支えた二人の女性を繊細に演じ分け、本田さんは息子・鍈一の優しさと劇団員・田島太一の明るさを、まったく別人格として成立させていた。正直、事前に知らなければ同じ俳優とは気づかないほど。鍈一のシーンでは胸がギュッとなり、田島のときは自然と笑顔に。実は他のキャストも二役を演じていて、どの方も芸達者ぶりが光っていた。

音楽劇『エノケン』本田=榎本鍈一
音楽劇『エノケン』

演出も巧みで、時代の移り変わりがとにかく自然。キャストが若返ったり老いたりしても、まったく違和感がない。笑いも涙も派手ではないけれど、どの瞬間も真っ直ぐで、じんわりと心の奥に残る。「生きる」というメッセージを静かに、けれど力強く受け取った気がした。

音楽劇『エノケン』
音楽劇『エノケン』

エノケンという伝説の背中を通して、人間の愚かさと愛おしさを描いた本作。たった七人でこれほどの世界を作り上げたこと自体が、もう奇跡のよう。市村エノケン、渾身のステージ。ぜひ劇場で、あの“生きる喜劇”を体感してください!

 
(文:かみざともりひと

シアタークリエ 音楽劇『エノケン』

【作】又吉直樹
【演出】シライケイタ
【題材監修】原健太郎

【出演】
榎本健一:市村正親
花島喜世子・榎本よしゑ:松雪泰子
榎本鍈一・田島太一(劇団員):本田響矢
菊田一夫:小松利昌
古川緑波:斉藤淳
柳田貞一:三上市朗
菊谷榮:豊原功補

【演奏】
和田俊輔、三國茉莉、藤吉 悠、矢尾拓也

2025年10月7日(火)〜26日(日)/東京・シアタークリエ
2025年11月1日(土)〜9日(日)/大阪・COOL JAPAN PARK OSAKA WWホール
2025年11月15日(土)・16日(日)/佐賀・鳥栖市民文化会館 大ホール
2025年11月22日(土)〜24日(月・振休)/愛知・名古屋文理大学文化フォーラム(稲沢市民会館)
2025年11月28日(金)〜30日(日)/埼玉・ウェスタ川越 大ホール

公式サイト
https://horipro-stage.jp/stage/enoken2025/

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