
坂元裕二の“会話”に溺れる夜 舞台「またここか」観劇レビュー

『またここか』撮影:阿部章仁
坂元裕二の“会話”に溺れる夜 舞台「またここか」観劇レビュー
映画・ドラマなどでもその独特な作品世界で人気を博し、様々な作品で活躍中の坂元裕二さんの舞台「またここか」。
近年では朗読劇などでも舞台作品の発表をされていますが、実は2018年の上演を当日券並んで見た私、今回8年ぶりの再演と聞き飛んで行きました。
突然ですが、普段演劇の制作を担当している私目線でまず会場の座・高円寺1の特徴をお伝えしますと、まずこの会場、間口がすごく広いです。9間(約16メートル)あります。
そして天井高も38尺(約11メートル)あります。どういうこっちゃと言いますと、「とにかくまず舞台を正面から見たら結構横長の長方形!かつ上も結構場所がある!」ということです。他の同規模の劇場より気持ち「横長」感がある会場です。
なので座・高円寺1で上演する作品の舞台美術の打ち合わせなどでは「ここは間口が広いしね〜」「天井が高いからここはこういうプランで行こうか」と美術・演出・舞台監督・大道具がディスカッションしている風景を見ているので、使いやすいけれどアイデアを捻る必要がある会場です。
『え?白紙のキャンバスじゃないけど舞台は広い方が良くない?』と思われるかもしれませんがところがどっこい。間口が広いと上手から下手の舞台の端から端への移動も大変だし、一般的な舞台セットを建てるとしても「なんか周りに変な余白ができちゃう・・・」ということを防ぐために策を凝らしている会場です(注:私調べ)プリンターの印刷で余白が妙に大きいとダサさ感じるのに近いです。
が、見方を変えれば「天井が高くて間口も広くてフラットな形状だったら、劇場というよりは映像のドラマスタジオと見立てればいいのでは?」ということでしょうか。今回はリアルなガソリンスタンドの部屋の舞台美術と言うよりは『セット(2階建)』が広がっています。
客席と同じ高さに、しれっとガソリンスタンドが存在している感覚。通常と利用スペースは変わらないはずなのに、空間の捉え方がまるで違う。
一般的な舞台では、どれだけ近くても舞台と客席の間には明確な境界がありますが、今回は同じ目線の高さで、客席の奥から人物が現れる。これはかなりの没入体験です。

『またここか』撮影:阿部章仁
作品自体はガソリンスタンドの店長の青年、スピナーで遊んでるだるそうなバイト女子、青年の異母兄、彼らの父が入院していた病院の看護師の男ふたり・女ふたりの4人芝居。この『4人の会話芝居』と聞けば坂元作品好きには定番のピンとくる構成です。
会話の中から喋りの中から彼らがどんなキャラクターなのか、時にひとりごと、時に2対2、3対1とありとあらゆる組み合わせの会話。「何言ってるかわからないんだけど?」と思った瞬間に、実は核心を突いている。坂元作品のエッセンスがこれでもかと詰まっている——いや、ほぼ原液。
気弱な雰囲気の青年、何かを知ってそうな看護師、探っている義理の兄・・・。ミステリーではないのにミステリアスなので普通のセリフを聞き漏らさないようにしているけれど実はそこだけじゃない。

『またここか』撮影:阿部章仁
「お客様にはマドレーヌ」「お茶がない」「増えるわかめちゃん」・・・食べ物をきっかけにしたそれぞれのキャラクター性が浮き上がる会話も定番ですが、気がつけばいつも「もしかして」を見逃していて、全てはセリフいや「会話の中」に織り込まれている。日常会話だと考えたらこんなトンチの聞いた会話は絶対してないのに、妙にリズムが良くてスッと入ってくる不思議な空間です。
普段はテレビやスマートフォン越しに見ている世界を、ほぼ同じ空間で体験する。
舞台の「あっち側」と「こっち側」の多少の差あれど、観客というよりはこのガソリンスタンドの中に透明人間として見ている感覚です。

『またここか』撮影:阿部章仁
私は舞台側の客席から観劇しました。反対側の景色は想像するしかありません。
お互いに反対側の様子は残念ながら見えませんが、自分のいる位置から自分の気になる人物や瞬間を追う感覚は、まるでワンカットのドラマを撮影しているかのよう。自分だけのモノガタリを焼き付けることができます。

『またここか』撮影:阿部章仁
またここにきてしまう。
観劇というよりも「会話」の海に没入する体験を得られる作品です。
(文:藤田侑加)
舞台『またここか』
【作】坂元裕二
【演出】荒井遼
【出演】
奥野壮 馬場ふみか 永瀬莉子 / 浅利陽介
2026年2月5日(木)〜15日(日)/東京 座・高円寺1
公式サイト
https://matakokoka.jp/

