家族の絆などというキレイ事ではなく・・・/ブス会*「お母さんが一緒」観劇レビュー
家族の絆などというキレイ事ではなく
〈家〉という、個人を強固に束縛する制度から逃れることは可能か。そのことに思い悩む三姉妹の姿は、我々もかつて(もしかしたら現在進行形で?)葛藤している事柄である。結論から言えば逃れることはできない。だが、いろいろ思うところはあろうが和解することはできる。四〇歳を目前にした長女を筆頭にした姉妹たちの対立を通して、ぺヤンヌマキは女性ならではの視点で丁寧に描いた。
〈家〉の制度に束縛された三姉妹
とある旅館の客室。畳敷きの部屋に、襖を挟んで露天風呂。典型的な部屋だ。そこに長女の今市弥生(岩本えり)、次女の愛美(内田慈)、三女の清美(望月綾乃/ロロ)がやってくる。
幼少の頃より母親の言いつけ通り、勉学一筋で良い会社に就職した弥生、おおざっぱな性格で何人もの男と恋愛してきた愛美、そしてそんな二人の生き方を反面教師にしながら成長してきた清美。父親は不参加であるがこの度、愛美が幹事を務めて久しぶりの家族旅行が実現した。還暦を迎える母親への、ささやかな誕生日祝いなのである。
部屋がカビ臭い、浴衣が男女1組ずつしかない、肝心の露天風呂には高い塀があるために外が見えないなど、部屋に着くなり弥生は文句を放つ。その矛先は幹事である愛美の、無計画な旅館選定へと向けられる。だったら自分が全部やればよかったじゃないのと応じる愛美。両者の意見を聞き、どっち付かずの態度をとる清美。冒頭の展開が示すように、3人の性格の違いがもたらす価値観のズレが、やがて仕事・結婚といったパーソナルな面への罵り合いへと発展する。
傍から見れば滑稽でしかない三者三様の三すくみの応酬が見ものだ。女優たちは、視線の置き場や距離の取り方といった、細やかな仕草を大切にして演じる。それにより、各人物が今どのような心境にあるのかが、3人のパワーバランスの変化と共に分かりやすく伝わる。
その中から次第に明らかになるのは、性格が異なると思われていた三姉妹が、結局のところ自分たちが毛嫌いしていた両親の悪い部分をしっかりと受け継いでいることである。その時、観客は血筋という逃れ難い〈家〉の宿命を感じさせられる。舞台上には登場しない父と母が、まさに三姉妹に取り憑いているかのように、しっかりと存在している点がポイントであろう。所々、展開の予想が付いてしまうきらいはあるものの、その点が強調されることで、改めて家族の逃れがたさを意識させられた。
姉妹に和解をもたらすタカヒロの存在
では、家族から逃れるにはどうすれば良いのか。やはり男である私は、二九歳の三女の彼氏・タカヒロ(加藤貴宏)に注目したい。
清美の幼馴染であるタカヒロは、母親へのサプライズプレゼントとして、結婚報告をするべく呼び出された。食に目がなく、何の意図もなく女性を喜ばせることができるタカヒロ。清美にバカ呼ばわりされているように、あるがままの純粋無垢な存在である。それ故に、母親から早く結婚して孫を見せろと迫られてケンカになった弥生や、何人もの男と付き合ったもののいまだ独身の愛美の神経を逆なでて、新たな争いの元になる。
性別はもちろんのこと、三姉妹のいずれとも異なる性格のタカヒロは、明らかに闖入者である。それが分かりやすく表現されているのは、悪口にも気付かず受け流せるタカヒロの天然さである。激昂すれば物を投げて相手を威嚇する、父親譲りの性格を持つ姉妹との決定的な違いだ。そんなタカヒロは、いつしか姉妹の間を取り持つ潤滑油となる。
しかも、彼はバツ一で4歳の子持ちだ。そのことが、子孫を残して〈家〉を永らえさせることを願う母=姉妹たちの期待を、別の形で叶えさせてしまうのだ。タカヒロを演じた加藤貴宏は初め、女優たちと演技レベルに差があると思わされたが、ちょっと浮いた役柄の立ち居地を了解するにしたがって、物語にうまくはまっていくようになった。
タカヒロは血筋を継続させるための犠牲者?
それでもやはり、〈家〉の呪縛からは逃れることはできない。
しかし、新しい血が入ることでこれまでの家柄に修正を施すことはできる。それがこの舞台のとりあえずの結論だ。たとえタカヒロがもたらした三姉妹の和解がほんのひと時に過ぎなくとも、それが〈家〉の外である温泉旅館でなされたことは示唆的である。
そして、逃れがたい小さな個々の〈家〉の営為によって、日本という国、そして人類が脈々と歴史を紡いできたこともまた事実だ。おそらく、清美はタカヒロと結婚することになるのだろう。今市家の新たな歴史を歩むきっかけを与えたタカヒロは、頼りないがヒーロー、と言っても良いかもしれない。だがそう考えてすぐに思い直した。もしかしたらタカヒロは、したたかな〈家〉制度によって取り込まれたのかもしれないと。
温泉・パワースポット・神社・朝日と、舞台には生命を育む自然の力を思わせる記号が頻出する。そして、舞台の主役は母のDNAが流れる姉妹たちなのだ。そうだとすれば、タカヒロは純粋無垢な故に、ある意味では〈家〉の犠牲者とも言える。新しい血と、それを導入することによって永らえる〈家〉。主導権は後者が握っており、あらゆるものを古風で伝統的な制度に吸収し従わせる、不思議な力学が働いている。男性にとっては空恐ろしいことではないか!
ブス会は第1回公演から目撃してきた。AVの撮影現場を描いた『女のみち 2012』(2012年/ザ・スズナリ、2015年/東京芸術劇場 シアターイースト)をはじめ、スナックや清掃会社の休憩室などを舞台にして、女性の剥き出しの生態を、肢体を媚態を晒すこと共に描いてきた。今作でもそういった要素はあるものの、登場人物の根拠である血筋を描くことで、単なる個人の生き方以上の背景を強く感じさせられた。だからこそ、内容に奥行きが伴った。ユニットの深化の兆しが垣間見られたという点でも、意義深い作品であった。(2015年11月19日(木) 夜公演観劇)
(文:藤原央登)
公演情報
ブス会*『お母さんが一緒』
【脚本・演出】ペヤンヌマキ
【出演】内田慈 岩本えり 望月綾乃 加藤貴宏
2015年11月19日(木)~30日(月)/下北沢ザ・スズナリ