これは男の古い思い出話ではなく、現代の女の寓話である。舞台『PHOTOGRAPH51』観劇レビュー
舞台「フォトグラフ51」板谷由夏 撮影:花井智子これは男の古い思い出話ではなく、現代の女の寓話である。舞台『PHOTOGRAPH51』観劇レビュー
「リケジョ」って言葉が少し前に流行って、今や定着しましたね。
「○○女子」や「○○メン(男子)」と呼ばれてるカテゴリはやはりお互いに男女比が偏っている現状・・・という「理系=男子」「文系=女子」とのイメージがまだまだ強い2018年の日本。
しかしこの作品『PHOTOGRAPH51』の舞台となった1950年代は、13世紀から続くイギリスの名門・ケンブリッジ大学がようやく女性にも学位を授与し始めたばかりという、ひとつ時代が動いたとも言える第二次世界大戦後すぐのイギリスが舞台です。女性が四年制の大学以上に進学して学位が授与されるのは「当たり前」ではなかったのです、たった70年前は!
舞台「フォトグラフ51」板谷由夏、矢崎広 撮影:花井智子
今や教科書にも載っていて「DNA→二重らせん」というのは誰しもが知っている話ですが、そうなるまでの前日譚であるこの作品。
物語は世紀の大発見をした科学者、ロザリンド・フランクリン(板谷由夏)と、その『共同研究者』であったモーリス・ウィルキンズ博士(神尾佑)(原爆を生み出したマンハッタン計画に参加)、大学院生のゴズリング(矢崎広)、のちの共同研究者であるユダヤ系アメリカ人研究者のドン・キャスパー(橋本淳)ら彼女を取り巻いていた男性たちの回想が軸になって進んでいきます。
舞台「フォトグラフ51」橋本淳、撮影:花井智子
もちろん、登場人物は全員実在の人物でちなみにワトソン博士(宮崎秋人)はまだご存命。実在の人物と実際の出来事をベースに作られたフィクションであることは先に断りを入れつつも、そこで繰り広げられる様々な感情は「これ、本人たちも思った瞬間あったんじゃないのかな?」と思ってしまうほどリアルなものを感じます。
舞台「フォトグラフ51」宮崎秋人、中村亀鶴 撮影:花井智子
作中、ロザリンドは2つの差別に晒されます。まず一つはユダヤ人であるということ。そして何より、女性であること。社会的な制度も整っていなければその時代の「常識」も現代とは比べ物にならないほど厳しい時代。女であるというだけで、ありとあらゆることにジェンダーバイアスがかかった形で対応されます。「女だから」「女のくせに」直接的に、暗喩的にずっとその空気は纏わり付いています。
「女だから」対等な関係でない。「女だから」博士号を持っているのにも関わらず「さん付け」で呼ばれて「フランクリン博士」とは呼ばれない・・・そして何より、「女だから」彼女がいかに素晴らしい研究をしていたところで、誰もまともに耳を傾けない。でもそれは、その時代の男性に言わせれば、きっとその時代にそうやって生まれて育ってきた男性にとってはごくごく当たり前であって何も間違っているわけではない。これらがいいか悪いかは一旦別にして、お互いに自分の正義を曲げない。
いやはや、設定こそ70年前で、わかりやすくお互いに敵対しているキャラ付けをなされていますが、「いやいやいや、これどっかの職場で今でも起こっているお話でしょ!?」と
おそらく働いている方ならまず間違いなく、ものすごい既視感に襲われます。
舞台「フォトグラフ51」撮影:花井智子
そして思うのです。
「もし、あの時、ボタンを掛け違えなかったら」と。
「たられば」は考えても仕方がないけれど、考えてしまう。科学者であることも、男だとか女だとかも関係なく、感情のままに。
科学とは疑うことから始まると言います。けれど、彼らは自分たちの常識についてはどうでしょう。
疑わなくなったら、終わりだとも。
舞台「フォトグラフ51」神尾佑、宮崎秋人、中村亀鶴 撮影:花井智子
今作品の初演は2015年、脚本のアナ・ジーグラーも演出のサラナ・ラパインも気鋭の脚本家であり演出家。そして主人公のロザリンドを初演で演じたのは映画での活躍が多いニコール・キッドマンであり、今回のロザリンド役は映画やドラマではおなじみ、キャスターなどの顔もあるけれどなんと舞台は初挑戦という板谷由夏さん。
まさに今この時代に、「いま」を生きる女性たちによって作られた作品です。
舞台「フォトグラフ51」板谷由夏 撮影:花井智子
(文:藤田侑加)
舞台「PHOTOGRAPH 51」
作:アナ・ジーグラ
演出:サラナ・ラパイン
出演:板谷由夏、神尾佑、矢崎広、宮崎秋人、橋本淳、中村亀鶴
2018年4月6日(金)~22日(日)/東京・東京芸術劇場シアターウエスト
2018年4月25日(水)~26日(木)/大阪・梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ
公式サイト
舞台「PHOTOGRAPH 51」