ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。音楽に特別詳しくない人でも、その名や楽曲は知っているであろう、偉大な天才作曲家。さぞや幼い頃からその能力を買われ、チヤホヤとされてきたのだと思うかもしれませんが、彼の人生はまったくの真逆。同時代に名前を轟かせる作曲家・モーツァルトと才能を比べられ、その才能を越えさせようとする父からの虐待を受けながら、ピアノに向き合う毎日でした。それだけでは、「本当に彼に才能があるのか」「無理矢理ピアノに縛り付けられて、逃げ出したくはならないのか」と思ってしまいますが、彼のすごいところは、それでも音楽が好きだということ。自分の頭や身体に鳴り響く音楽に酔いしれる彼は、少なからず楽しそうに見えるのです。
けれど、その快楽は長くは続きません。作曲家として大切な力である“聴覚”が徐々に失われてしまい、ルードヴィヒの人生は一気に絶望へと転がり落ちていきます。
©MUSICAL「ルードヴィヒ~Beethoven The Piano~」製作委員会/岩田えり
青年期のルードヴィヒを演じるのは、中村倫也さん。自分の聴力が落ちていくことに怯え、神にすがり、その焦燥感がまた新たな悲劇を生む、その葛藤と苛立ちを凄まじい爆発力で表現。個人的には中村さんの、軽快で脱力感のあるお芝居が好きで魅力的だとこれまで思ってきたのですが、今回はそのイメージをいい意味で殴り捨てられて驚きました。苦悩の中、助けを求めるように瞳を潤ませていると思えば、すべての怒りをぶつけるように尖った瞳で客席を睨んでくる。その不安定な表情は思い出しただけでゾクッとします。
ある嵐の日。ルードヴィヒの元をマリーという女性が訪ねてきて、「類い稀なる音楽の才能を持つ少年・ウォルターの先生になって欲しい」と懇願します。マリーはルードヴィヒと同郷で育ち、幼い頃、彼のピアノに勇気をもらっていた1人ゆえに、幼いウォルターにも人の心を動かす音楽の才能があると見抜いていたのです。しかし、自暴自棄になっていたルードヴィヒはその願いを拒み、ウォルターが弾くピアノの音を聴いてさらに憤慨。ついにマリーたちを追い出してしまいます。それはルードヴィヒが感じた才能へのある種の愛でしたが、その選択がまた、彼を深い苦しみの底に陥れることに…。
©MUSICAL「ルードヴィヒ~Beethoven The Piano~」製作委員会/岩田えり
木下晴香さんが演じるマリーは、溌剌で聡明。ほとんどの女性が男性と同じような教育を受けられなかった時代の中、自らの夢を追って自立して生きようと励む強さを持っています。彼女がルードヴィヒをウォルターの先生にしたい理由は切実なものですが、木下さん持ち前の天使のような笑顔と明るさで、空間がふわりとあたたかくなる気がしました。そして心の中で、「押せ!頑張れ!もう少しだ!」と、彼女たちを応援せずにはいられませんでした。
ウォルターは、唯一のWキャスト。私が拝見したのは、高畑遼大さん。無邪気で可愛くて、「ピアノが大好き」だと語る瞳はとてもキラキラとしています。その、夢を叶えるために奮闘するマリーとウォルターの眩しいほどの輝きと、目の前を暗闇で閉ざされたように絶望しているルードヴィヒ。その対比がとても印象的な場面でした。
数年後、完全に聴力を失ったルードヴィヒの元を、また1人の少年が訪ねて来ます。名前は、カール(高畑遼大/大廣アンナ)。彼はルードヴィヒの甥っ子ですが、ルードヴィヒは再びウォルターが現れたのだと勘違い。かつての後悔が蘇り、そしてこの出会いに運命を感じ、カールに音楽を教えることを決意。なんとカールの母親から親権を奪い、自分の養子に迎えてしまいます。
時が経ち、カールは成長。そしてルードヴィヒにとって彼は、自分の音楽を継承してくれる最高の希望。その強すぎる期待と重すぎる愛は、次第にかつての自分が父にされていたように、カールをピアノに縛り付けてしまうのですが、そんなことには気がつきません。「僕は音楽なんてやりたくない」「僕には才能がないって本当は気づいているはず」、そう訴えるカールの言葉は、完全に暖簾に腕押し。「またまたぁ」というようなテンションで笑う中村さんの笑顔の怖いこと。
©MUSICAL「ルードヴィヒ~Beethoven The Piano~」製作委員会/岩田えり
青年期のカールを演じるのは、福士誠治さん。本作ではカール以外にもかなり多くの役を演じ分け、その振り幅の広さと巧みさを証明。立ち姿、声、会話のペースで、説明されなくても何歳くらいのどの役か混乱せずにわかります。
カールはウォルターを知りません。なぜ自分がこんなにも大きな期待を叔父から受けているのか、その苦しみと戦い続け、見た目にわかるボロボロ加減。自分の人生が誰かの代わりとして扱われていることを知ったとき、膨らみ続けていたストレスの風船が大きな音を立てて割れてしまうという反動が切ない。これまでいろんな作品でルードヴィヒの甥を見てきましたが、彼の人生は本当に壮絶だっただろうと思います。
とはいえ観劇後に調べた情報ですが、カールは数年後、ひとり息子にルードヴィヒと名付けているよう。あんなに逃げたくてたまらなかった叔父との生活でも、それなりにちゃんと愛情も感じていたのだと思うと泣けてきます。カール・ヴァン・ベートーヴェンの人生、どなたか舞台化してくださらないでしょうか!(土下座)
©MUSICAL「ルードヴィヒ~Beethoven The Piano~」製作委員会/岩田えり
そして本作にはもう1人、物語を動かすうえで大切なピアニスト(木暮真一郎)がいます。彼は常にステージ上にあるピアノと向かい合い、登場人物たちの感情や名曲たちを、ときに繊細に、ときに大胆に表現。ベートーヴェンのメロディーに歌詞が乗っかって聞こえるような、彼の泣き声や叫び声に聞こえるような、とても物語にマッチしたピアノの音で、より空間の緊迫感が増していました。そんなピアニストも冒頭と終盤では役者として登場。その正体が誰なのか、明かされたときは驚きでした。
ちなみに、私が観劇した回は本作の脚本を手がけたチュ・ジョンファさんのトークショーがあったのですが、ジョンファさんの夫であり、本作では音楽を担当されているホ・スヒョンさんがかつて、「何度曲を提出しても、ダメだ、書き直せと叩き返され、まるで幼いルードヴィヒやカールのような緊迫した思いで作曲した」とお話しされていたらしく、ジョンファさんは「その通りです(笑)」とチャーミングな微笑み。良い意味で制作側と物語の中がマッチした結果の、自然で美しい化学反応なのかなと思ったりもしました。
©MUSICAL「ルードヴィヒ~Beethoven The Piano~」製作委員会/岩田えり
本作は、上演時間120分。休憩なし。ものすごい熱量の物語が、ノンストップで進んで行きます。話して、走って、怒鳴って、歌って、泣いて…、役者さんたちの消費エネルギーは計り知れないものだと思います。(だからこそ、舞台上でリアルに水分補給される様子にちょっと安心したりもして)
物語の中盤には、中村さんと福士さん、2人のルードヴィヒが汗と笑顔と涙でもうぐちゃぐちゃ状態。わかる方だけにわかっていただければいいのですが、ミュージカル「デスノート」のラストの夜神月が2人いるくらいに私には見えました。でもそれは、ルードヴィヒにとっては絶望の淵というだけではなく、彼の静寂な世界の中に新たな音楽が生まれ出す覚醒の前兆でもあって、その高低差がまたおもしろかったです。
幸せとは何か。夢とは何か。
神はなぜルードヴィヒに驚異的な音楽の才能を与え、そして聴力を奪ったのか。
彼の物語を見るたびに考えてしまう、答えのない問いではありますが、苦悩だけではなく、その先にある希望と歓喜を、また新しい切り口で描いた美しい作品だなと感じました。韓国のオリジナル版とはまた演出が違う箇所が多々あるようなので、ぜひいつかそちらも拝見したいなと思います。
本作は、東京芸術劇場プレイハウスにて上演中。
11月13日まで上演されたのち、大阪、金沢、仙台でも上演されます。詳細は公式サイトで!
https://musical-ludwig.jp/
(文:越前葵)
MUSICAL『ルードヴィヒ ~Beethoven The Piano~』
【上演台本・演出】河原雅彦
【訳詞】森雪之丞
【出演】中村倫也、木下晴香、木暮真一郎、高畑遼大(Wキャスト)、大廣アンナ(Wキャスト)、福士誠治
2022年10月29日(土)~11月13日(日)/東京・東京芸術劇場 プレイハウス
2022年11月16日(水)~21日(月)/大阪・梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ
2022年11月25日(金)・26日(土)/石川・北國新聞赤羽ホール
2022年11月29日(火)・30日(水)/宮城・電力ホール
公式サイト
https://musical-ludwig.jp/
チケットを探す