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[スタジオ術 Ⅰ ] 劇場を捨て、スタジオに籠ろう!? 〜日常と世界が交差する場所〜

[スタジオ術 Ⅰ ] 劇場を捨て、スタジオに籠ろう!? 〜日常と世界が交差する場所〜

[スタジオ術 Ⅰ ] 劇場を捨て、スタジオに籠ろう!? 〜日常と世界が交差する場所〜[スタジオ術 Ⅰ ] 劇場を捨て、スタジオに籠ろう!? 〜日常と世界が交差する場所〜

ええ、先ずは個人的な近況報告(というには既に結構前の話だったりするのだが)となってしまいますが、“コロナ禍”なる言葉が生まれるが早いか、私は所有していた芝居小屋をさっさと手放し、その代わりに小規模だが本格的な録音が可能なレコーディングスタジオを所有すべく早速、準備を始めたのでした。

というわけで、今回はレコーディングスタジオのお話。

何故、レコーディングスタジオ?という向きも多いとは思いますが、これはもともと私自身が音楽家(作・編曲家)としてスタートしたこととも関係ありますが、そのキャリアの始めがちょうどプロ用録音機材の低価格化(とは言っても、今から比べると相当に高かった!)に伴い、ミュージシャンのプライベートスタジオという概念が定着しつつある頃だったというのが大きく影響している様な気がします。そう、漏れなく私も20代半ばにして、プライベートスタジオなるものを自宅近くの防音が施されたマンションの1室に設けました。

機材の低価格化とはいっても、当時の機材はそれなりに高額で、今みたいにMacにDAWソフトを入れればとりあえずOKとはいかなかった(それに当時はMacも信じられないぐらい高かった)。もちろん、私は大金持ちの御子息であろう筈もなく、そんな高額商品をとりあえず揃えてみるなんて芸当は出来っこない。

ところがある日、某タレントさんのスポンサー氏が200万円投資してくれると言うではないか! その当時、既にバブルはとっくにはじけており、そう易々とそんなうまい話にありつけるご時世ではなかったが、その“タレントさんの歌手デビューに向けて各種サポートをする”という条件と引き換えにまんまとスタジオ機材を手に入れたのでした。

8trデジタルレコーダーが1台40万近くしたがそれを2台、32チャンネルのミキサーが80数万、コンプレッサー、アンプ、スピーカー、マスターテープを作る為のDATレコーダー等々、締めて約200万円也。これがその後、音楽プロデューサーとして仕事をする上で活きて来るもんだから有難い。まあ、それはまた別の話。

このスタジオでは、当時テレビで活躍していたお笑い芸人の単独ライブ用音楽や台湾の女優兼歌手のプロデュース、各種イベントや企業案件の音楽、ミュージカル志望者の歌唱レッスン、果ては知り合いだった某芸能プロダクションの社長に頼まれて、その事務所の所属タレントのデモテープ録音に至るまで、頼まれればとりあえず何でもやったものです。当時は不本意だったけれど、今思い返すと20代青年音楽家の“駆け出し感”がなかなかいい感じです。

このマンションはデザインもテレビのセットの様な独特なものでしたが、その住人たちも各方面でご活躍されている音楽家の方ばかりでした。よくご挨拶したり、たまにお部屋(スタジオ)にお邪魔させて頂いたりしたのは、ムーンライダーズのキーボーディストで作・編曲家の岡田徹さんや、作曲家の小森田実さん。

天気の良い日にスタジオに行くと、その中庭でサングラス姿で寝椅子に寝転び、タバコを吸いながらキーボードマガジンやサウンド&レコーディングマガジンを読んでいる岡田さんが「おはよう!」と気さくに声をかけて下さる。「コーヒーでも如何ですか?」とハワイ在住の親戚から届いたチョコレート味のコーヒーを勧めると「じゃあ、ご馳走になっちゃおうかな」と僕のスタジオにいらっしゃる。僕のスタジオには公園のベンチみたいなベンチがあったのだけれど、3千円で買ったと告げると「えらいっ!」なんて褒められたっけ。

岡田さんはそのマンションの事を「ここはピカソの洗濯船みたいなものだから」と仰っていらした。ちなみにピカソの洗濯船とは、若かりし頃の貧乏なピカソが暮らし、他にもモディリアーニや、ピカソと共にキュビズムを生み出したジョルジュ・ブラックなどの画家、芸術家が多く暮らした、モンマルトルにある集合アトリエ兼住居のことである。実際のところ、洗濯船にしては皆さん既にご活躍されている方々ばかりで、海のものとも山のものとも分からない20代の若者は僕一人だったのだけれど・・・。 
まあ、それでも岡田さんの言わんとされていることはよく分かる様な気がする。実際、岡田さんからは色々教えて頂いたり、CDを貸して頂いたりしてかなり勉強になった。そして自分が当時の岡田さんと同じぐらいの歳になった現在、当時を振り返って「有難かったなあ」と思う反面、自分は後輩にあんなに気さくで寛大に接してきただろうかと反省したりもするのだ。

ムーンライダーズの曲で岡田さんの作曲した「ニットキャップマン」という曲があるが、これは僕の大好きな曲の一つで、聴く度に“音は人柄を表す”と思い知らされる。ちなみに、この曲は矢野顕子さんが歌うバージョンも存在するのだが、これなんかは音楽のみならず、スタジオで創造されうる演劇の一つの可能性を示していると言っても過言ではない様に思われる。

小森田さんは当時、SMAPの「SHAKE」が大ヒットする直前ぐらいで、確か初めて「SHAKE」を聴いたのも、小森田さんのスタジオで機材に関する説明をして頂いた際に小森田さんが歌っているバージョンだったと記憶している。後日、テレビC Mで曲が流れて「あっ、小森田さんの曲だ!」と思った記憶がある。僕は音楽に関する記憶は良い方なので、チラッと一部分耳にしただけだったけどハッキリ覚えていたのだ。

要するに、そこは日常と世界が交差する空間だったのだ。その後、アイドルの曲を書いたりなんかして立派なスタジオに籠らせてもらったり、その曲が「番組のエンディングに流れるよ」とか、サウンドプロデューサーとして取材を受けたりとか・・・自分自身、確かにそういう中に居たりもしたんだけれど、何かいつも他人事の様な気がしていた。気忙しくも淡々と過ぎていく単なる日常でしかなかった。

ちょっと位相をずらして演劇をやってみたところでそれは同じ。「ちょっと地味になったかなあ」ぐらいの差。まあ、見方を変えれば、それこそが曲がりなりにもプロの証ということなのかもしれないけれど、日常と世界が交差する創造の場、そう、あの感覚にはあれ以降出会っていない様な気がする。

実際のところ、僕があの新宿区の洗濯船に居たのは1〜2年ぐらいで、その後は事務所の一角にスタジオを移してしまったのだが、当時のことを何故だか最近よく思い出す。もしかすると、今回また再びスタジオを所有したことと、コロナ禍という他人とのコミュニケーションが取りづらい環境が続く中、脳の中で何かが整理、再構築されているのかもしれない。

さて、次回はいよいよ演劇における音楽制作について考えて行きたい。演劇人でパソコンを持っている方にはお役に立てる情報をお送りしたい。具体的には、音楽制作のインフラを如何に整えるか?と、具体的な音を如何に制作するのか?について、その歴史から具体的な機材、創作方法について、数回に分けてお送りしたいと思う。題して「演劇人のための音楽講座」。ないしは「演劇音楽講座」。まあ、そんな感じ。正式な名称は次回までの宿題ということでお願いします。

それでは。

その8 》[スタジオ術 Ⅱ ] 演劇とシンセサイザー

(文:関口純 ※文章・写真の無断転載を禁じます)

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